スーパーカブから乗り換えを考えたけどやめた理由|PCX160やNMAX155と比較して思ったこと

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スーパーカブに乗っていると、一度ならず「もう少し、あと少しだけパワーがあれば……」と、天を仰ぎたくなる瞬間が訪れます。私もそうでした。中年になり、バイクライフにも「余裕」や「安らぎ」を求めたくなる年頃。そんな中で、愛車スーパーカブ110(JA07)が突きつけてくる「非力さ」という現実は、時に深刻な悩みとなります。

特に流れの速い幹線道路での走行は、カブ主にとってはある種の「試練」です。普段は街に溶け込み、どんな細い路地でもスイスイと入っていける気軽な相棒。しかし、一歩大通りに出れば、そこは弱肉強食のジャングル。今回は、私が本気でスクーターへの乗り換えを検討し、そして最終的に「なぜカブを離れられなかったのか」についてお伝えしたいと思います。

第一章:東京の「血管」が牙を剥くとき

カブで走っていて、最も精神を削られる場所。それは、甲州街道(国道20号)、国道246号、そして環七や環八といった、東京の物流と交通を支える「大動脈」です。これらの道路は、法定速度が60km/hに設定されている区間が多いものの、実際の交通流はそれを遥かに上回るペースで流れています。

カブ110のエンジンは非常に優秀ですが、あくまで「働くバイク」としての設計。60km/h巡航は可能ですが、そこからの「追い越し加速」や「登坂車線での踏ん張り」には限界があります。特に、背後から迫りくる大型トラックや、建設現場を急ぐ土建屋さんのハイエース、あるいは車間距離を詰めてくる外車に囲まれたときの圧迫感は、筆舌に尽くしがたいものがあります。

「自分だけが、この流れの異物になっているのではないか」

そんな不安が頭をよぎります。合流地点でアクセルを全開にしても、隣の車線の加速についていけず、ヒヤッとする。ミラーに映る巨大なグリルがどんどん大きくなる恐怖。この「パワーの余裕のなさ」は、単なるスペックの問題ではなく、ライダーの「安全マージン」を削り取っていくのです。

第二章:150ccスクーターという「甘い誘惑」

そんな折、私の心に強く訴えかけてきたのが、近年の150ccクラスのスクーターたちでした。PCX160、NMAX155、そしてバーグマンストリート125EX……。特にPCXやNMAXといった「軽二輪」枠のスクーターは、カブ主にとって「理想の解決策」に見えます。

まず、排気量の差。わずか40〜50ccの差ですが、その差がもたらす馬力とトルクの余裕は絶大です。何より大きいのは「自動車専用道路(高速道路)」に乗れるという事実。これがあれば、都内の移動でも首都高を使ってワープできますし、ツーリングの幅も劇的に広がります。何より、あの幹線道路の合流で「お先に失礼」と言わんばかりの加速を味わえるのです。

【比較】スーパーカブ110 vs 150ccクラススクーター
比較項目スーパーカブ110150ccスクーター(PCX等)
最高出力約8ps(トコトコ走る)約15ps前後(力強い加速)
変速方式4段リターン(操作の喜び)Vベルト無段変速(圧倒的な楽さ)
高速走行不可(一般道のみ)可能(行動範囲の拡大)
ブレーキドラムまたは小径ディスク前後ディスク/ABS標準が主流

公式サイトのスペック表を眺め、YouTubeのインプレッション動画を夜な夜なチェックする日々。「これはもう、乗り換えるのが正解だろう」と、自分を納得させる理由はいくらでも見つかりました。PCXの流麗なデザイン、NMAXのスポーティな走り。どれも魅力的でした。

第三章:カブの本質は「箱」に宿る

しかし、最終的に私が踏みとどまった理由。それは、私のカブの背中に鎮座する「JMS大型リアボックス」の存在でした。そして、その箱と共に歩んできた「生活の一部としてのバイク」という立ち位置でした。

多くのカブ主がそうであるように、私もまた、カブを単なる「移動手段」としてだけでなく、「運搬手段」として酷使してきました。スーパーでの1週間分の食料品の買い出し。これは序の口です。カブの凄みは、そこからさらに一歩踏み込んだ「重量物」の運搬にあります。

庭の砂利と、30kgの攻防戦

ある時、自宅の庭のメンテナンスのために、ホームセンターで砂利を数袋購入しました。合計で約30kg。これをJMSのボックスに詰め込み、自宅まで運んだことがあります。今思えば、これはかなり無茶な挑戦でした(絶対にマネしないでください)。

走り出した瞬間、フロントの接地感が極端に薄くなるのを感じました。重心が後ろに、そして高い位置に移動したため、バイク全体がフラフラと落ち着かない。特に路地の曲がり角では、車体が勝手に倒れ込もうとするのを、必死で踏ん張って抑え込む必要がありました。

「これは危ないな」と冷や汗をかきつつも、ゆっくりと、確実に荷物を目的地まで運んでくれるカブ。10kg程度なら、まるで何事もなかったかのように平然と走り抜けます。灯油缶20リットルを積んで走ったこともありました(近くです)。この「プロの道具」としてのタフネス。スタイリッシュなスクーターに、果たしてこの「泥臭い作業」を任せられるだろうか? そう自問自答したとき、答えはNOでした。

あの重たい砂利を店内の棚から取ってレジまで持っていく時と、買ってからバイク置き場まで持っていくあの辛さ。

でもカブに乗せれば、車体は重くはなるけど家までなんとか運んでくれるあの頼もしさは感動ものです。

その時、いつもカブに対する感謝の気持ちが深まるのです。

第四章:低燃費と「セルフメンテナンス」の聖域

経済性と整備性。これもまた、カブを愛する大きな理由です。私のカブ110は、どんなに雑に扱ってもリッター50kmを切ることはまずありません。昨今のガソリン価格高騰の中、財布に優しいこの燃費性能は、何物にも代えがたい「心のゆとり」をもたらします。

タンク容量の少なさは、確かに給油頻度を高めます。しかし、セルフスタンドで数百円払うだけで満タンになるそのサイクルは、どこかリズム良く、日々のルーティンとして定着しています。

そして、構造のシンプルさ。還暦を過ぎ、自分自身の時間を大切にしたいと願う私にとって、ガレージ(あるいは駐輪スペース)でカブを弄る時間は至福のひとときです。カウルを外すのに格闘する必要もなく、オイル交換もチェーン調整も、基本的な工具さえあれば自分で行えます。最近のスクーターは電子制御が進み、カウルも爪が多く複雑で、素人が手を出すのを拒んでいるかのように見えますが、カブは常に門戸を開いています。「自分の愛車の面倒は自分で見る」。この、古い時代の職人気質のような関わり方ができるのも、カブならではの特権です。

第五章:カブは「速さ」ではなく「生き様」である

結局、私は乗り換えを断念しました。というよりも、カブの代わりはカブにしか務まらないことに気づいたのです。

確かに、246や環七を走る時は今でも神経を使います。ミラーを何度も確認し、速い車には道を譲り、一番左側を「お邪魔します」という気持ちで走っています。しかし、その不便さを補って余りある「万能感」が、目的地に着いた瞬間にやってくるのです。

買い出し、ゴミ出し、庭の整備、そして時折の散策。どんなシーンでも、カブは最高の「アシ」であり「手」となります。もしあの時、勢いでPCXに乗り換えていたら、確かに幹線道路は楽になったでしょう。しかし、砂利を運ぶ時、あるいは狭い路地でUターンをする時、私はきっと「ああ、カブならもっと気楽だったのに」と、かつての相棒を思い出して後悔したはずです。

もし、私のようにパワー不足を感じてカブからの乗り換えを迷っている方がいるなら、こう伝えたいです。

「カブを速さという尺度で測ってはいけない。カブを評価すべきは、どれだけあなたの生活の重荷を、代わりに背負ってくれるかだ」

結びに:2台持ちという、終わらない夢

もちろん、これは私の今の生活スタイルに基づいた結論です。自宅のメンテナンスをこなし、合間に趣味を楽しむ。そんな「実用重視」の生活において、カブは最適解でした。

しかし、本音を言えば……もしも予算と置き場に無限の余裕があるのなら、カブ110の隣にPCX160を並べておきたい、という気持ちも消えたわけではありません(笑)。遠出はスクーター、日常はカブ。そんな使い分けができれば、まさに無敵のバイクライフでしょう。

でも、一台しか選べないのなら。私はやはり、泥にまみれても、重い荷物を積んでも、黙々と健気に走り続けるこのスーパーカブを、これからも乗り続けていくのだと思います。あと何年乗れるかは分かりませんが、動かなくなるその日まで、この小さくて偉大な相棒と共に、東京の道を走っていこうと決めています。

皆さんのカブライフも、より豊かで、実りあるものでありますように。

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